ダーウィンの悪夢

torippi2007-01-13

悪夢であれば、そのユメはきっと醒める。
そうであれば、どんなにいいだろう。
そう思ってしまうほど、残酷な現実をみつめたドキュメンタリー映画だ。


アフリカ、タンザニアのウ゛ィクトリア湖に半世紀前に放されたナイルバーチ
という外来魚がもたらした’グローバリゼーション’という視点から出発して、
アフリカと他の世界が関わる事により生まれる、とりわけアフリカの貧困層にもたらされた
残酷な現実が、カメラを通してうつしだされている。
さらには、ナイルパーチを積みに来る飛行機が載せて、アフリカにもたらしているものは、
食料でも衣服でもなく’武器’…という現実も。


これは、映画である。と、思う。
おかしな表現だけど。
カメラを人に向ける時点で、そこはもう被写体にとっての非日常だし、撮る側の意識が発生
しているから。
この作品で撮られていることは、現実の問題として既に認知されていることで、それ以上の
情報はないかもしれない。でも、この現象にカメラを向けて、彼の作品にしたということに大きな
意味があると思った。
そして、それがドキュメンタリー映画の意味を見出せるところだと思った。


彼のカメラを通してみつめられた、ストリートチルドレンの夜、魚のアラを干すひとびとの足、
工場の社長室、娼婦の笑顔、元兵士の戦争に対する意識、神父の顔、、
全てが記憶に焼き付いている。
それが、彼の見つめたアフリカであり、私が今日見たアフリカだ。


問題を根本から、覆せそうで覆せない、答えを出す事ができない。
無力さを感じているのは、昔からだけど、改めて感じる。
ただ、何かを考えたり、表現したり、行動する時に、この体験はきっといつか出てくる…。と、
思う。…思いたい。


私は、ホントに何も知らない。